八丁堀 その名の由来

2023年04月29日

中央区教育委員会 案内板「八丁堀(桜川)跡」より 

江戸時代初期、この地に開削された割堀の長さが八町(約873m ※1町=60間=109m )あったことから、その周辺を「八町堀」と呼ぶようになり、その堀名に由来して「八丁堀」という町名になりました。(町の字は、後に略字の「丁」となります。)堀を境に北側の地域一帯を本八丁堀(北八丁堀)、南側の河岸地一帯を南八丁堀と称し、広範囲にわたっていました。

この付近の堀は明治になり「桜川」と呼ばれ、関東大震災後の復興事業を経て新桜橋・桜橋・中ノ橋・八丁堀橋・稲荷橋が架けられました。水路は江戸時代から戦後まで存在し、利用されていましたが、1960年(昭和35年)から段階的に埋め立てられ、1969年(昭和44年)に完全に姿を消しました。

子どもだった当時、桜川に船が浮かび、その周りで遊んだ思い出を八丁堀の旦那衆はよく話してくれます。

埋め立てられた土地には現在は桜川公園、中央区いきいき館、桜川保育園、ブーケ21などが建てられており、2022年12月には、もと労働スクエア東京跡地に京橋図書館が移転し、「本の森ちゅうおう」が完成しました。